「人類文明と大自然の脅威 〜 平和への飽くなき探求」
吉原慧×藤原弘康
2005年8月16日に発生した宮城県沖地震。 幸いにして死者こそ出なかったものの、 建物の崩落や土砂崩れが各地で発生。 また、 交通機関は終日マヒし、 10万人以上もの人々へ影響した。
そんな大災害を自ら体験した2人の若人が、 大自然の脅威を前にして、 人類の文明が何を出来るのか。 恒久の平和のために、 自分たち次世代を担う若者ができること、 すべきことについて語らった。
確かに、出発当初は晴れていた
---今回の旅行を振り返っていただきます。 まず、初日はどのようにすごされました?
吉原:いやー、朝が早かった。
藤原:そうだねー、ヨッシーが遅刻するかと緊張し たよ(笑)
吉原:ちゃんと間に合ったじゃん(笑) 出発当初はいい天気だったよね。
藤原:そうそう、確か地震雲が見えるとか見えない とかいう話したから、晴れてたはずだよ。
吉原:だよね。まぁ、その話をしたのは山梨とか 長野とかだから、実際関係はないと思うけど。
藤原:実際、初日はうまくいきすぎて思い出に残らなくなってしまった。
吉原:強いて言うなら糸魚川だな(笑)
藤原:主人公は糸魚川だ。 飯や探すのになんであんな歩かなきゃなんだよ。
吉原:糸魚川までに乗ってた大糸線もなかなかアツかったよな。超古いディーゼル車で。
藤原:鉄ちゃんが多かったな!!
吉原:俺もその一人か(笑) しかし、あそこであのディーゼル車を見れたから、運命の2日目の予定が変わったんだよな。
---その後、新津(新潟県新潟市)までは順調だったようですが。
藤原:第1関門は雨だった。
吉原:結果的には12分程度の遅れだったけど、あの時はあせったね。
藤原:磐越西線の駅の灯篭には風情があった。
吉原:今度は明るい時間にも乗ってみたいな、磐越西線。 最後とか真っ暗だったもんな。
藤原:そしたら、寝ることに専念するしかない。
吉原:会津若松ではダッシュさせられるし。
藤原:2日目を考えるとバカにしているようだ(笑)
吉原:結局予定通りの時間にホテルにも到着したし。
藤原:豪華すぎて興奮した!!
吉原:そして、お風呂事件(笑)
藤原:悪いけど、お湯満タンに入れた時点で間違いだと気付いたから。
吉原:てか、お湯満タンだとそもそもあふれるだろ。
藤原:あふれちゃった、実際。排水溝がジョコジョコってとんでもない音してた。
吉原:なんということだ(笑)
予想外の長時間お世話になった志津川駅。
---そして、運命の2日目。
藤原:歴史に残る2日目だな。
吉原:違いない(笑)
藤原:志津川までは何も変なことがなくて、 さぁこれからリアス式海岸、メインだ、 というところで。
吉原:11時46分。ガガガガッ、と。
藤原:田んぼがなびいてたからな。 駅の屋根も相当揺れてたよ。 横揺れだったけど、グワーっと上下に揺れてた。 自分自身も揺れてたから、実際にはよくわからん。
吉原:しかし、地震がおきたのがたまたま停車中で、 しかも乗ってたのが「こがね号」だったのはラッキーだったとしかいいようがないな。
藤原:指定席、駅に停車中、スーパーあり、冷房あり。 まさに幸運だ!!
吉原:(停車後2時間くらいではじまった)タクシー代行に乗ってたらどうなっただろう。
藤原:(タクシー代行の限界である)気仙沼駅で待機、バスで行っただろ。
吉原:しかし、残った俺らにはパラダイスが(笑)
藤原:それは公表できません(笑) あそこでの8時間はなんだかんだ短かった。トイレの水も流れたし。
吉原:新幹線に比べるとな。
藤原:もっとも、志津川町は津波が一番高かったところ(潮位40センチ)だけど。
吉原:そのあとはずっと俺ら2人しか乗ってなかったな。
藤原:歌津でみた列車には数人乗ってたよ。あれに乗れてればおそらく在来線で帰宅できたな。
吉原:でもそのあとの快速南三陸82号の車掌さんやさしかったじゃん。 差し入れもくれたし。ホントあのへんの駅員さんはみんな優しいよ。 結局前谷地経由で小牛田まではなんとかたどりつけたし。
藤原:前谷地〜♪まえやち〜♪マエヤチ〜♪まえやちっち〜♪
吉原:まいやひ〜♪
藤原:しかし、ホント気道車の車掌・駅員はやさしいね。風情がある。
吉原:東北本線の接続駅・小牛田になるとちょっと微妙だったな(笑)
藤原:(上りに在来線が終了していたので)タクシー代を心の中でねだりつつ(笑) でもまぁ行き方を教えてくれただけで感謝かな。
吉原:タクシーで(新幹線の駅である)古川まで行くとは思わなかったね。
藤原:(到着直前に上り列車が発車し、)古川では正直あせった。
吉原:まぁ結局その後の新幹線にも乗れたし。
藤原:激動の一日を作り上げるためにはこれは必然だ。
---2日目はさぞかしお疲れになったでしょう。では、3日目はどう過ごされたのですか?
吉原:観光は取りやめだったな。松島海岸。しょうがないか。
藤原:余震、津波…松島で没するのはちょっと…。
吉原:まぁ常磐線経由でゆったり帰るだけで十分だな。
藤原:新幹線は乗車率200%で、特急は満席で…。 18きっぷが最も威力を発揮する場面だ(笑)
吉原:しかし3日目は何もなかったなー。
藤原:一番順調だな。みんな時刻どおり。さすが都会。
吉原:昨日は仙台でテレビに写れるかと思ったけどな。 午前2時半に到着。 『どこから来ましたか?』『何時ごろ到着する予定でした?』『今のお気持ちを一言』
藤原:俺の顔を全国的に知らしめるチャンスだったのに。無念だ。
吉原:しかし、3日目はとりとめてかくこともないな。太平洋を見たくらいだな。
藤原:何気に2日目にも見たけど。日本海、太平洋を一気に制覇した。
吉原:しかしまぁ、一生の思い出に残る旅になったな。
藤原:もうちょっと勘弁だな(笑)
そんな談笑のうちに2人の対談は終焉を迎えた。 次世代を担う若者として、 同じ世代へ語りかける強いメッセージに彩られたこの世紀の対談は、 今後幾世代にもわたって語る次がれていくことであろう。
藤原弘康(ふじわらひろやす)
1985年、 岡山県生まれ。 慶應義塾大学理工学部数理科学科に在学中。 高校時代は学校で学んだ単元は1週間もたてば全て理解したいたという秀才。 趣味は野球、数学。
吉原慧(よしはらあきら)
1986年、 東京都生まれ。 慶應義塾大学理工学部情報工学科に在学中。 しかしながら、 暗算では経済学部生に遠く及ばない。 趣味は野球、鉄道旅行、インターネット。