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構成員 : 15人以上 Historyジャンクスの歴史は古く、 そのルーツをたどることは容易ではない。 昔から下丸子の居酒屋「一休」の上にある雀荘「ジャンボ」などを拠点とし、 日々麻雀に精を出していた。 しかしながら、 昨今の麻雀人口の全体的な減少に伴い、 2004年度にはその活動をほぼ休止していた。 その状況を打破すべく立ち上がったのが現在のぴよ代、石田貴俊であった。
2005年度に入り母集団であるシャークス内での地位を確立し始めた石田は、 浪人時代に鍛えた麻雀の腕を存分に発揮することにより、 シャークス内での麻雀を活性化させたのだ。 そんな彼の周囲に人は自然と集まった。 「近代麻雀」の愛読者であり、自称麻雀通の平田亮輔。 往年のジャンクスを知るベテラン、東誠人。 しかもそのような熟練者達だけではなく、 高校時代にルール程度は知っていた川田琢磨、吉原慧らのほか、 当時初心者であった河田佳朗、西原浩司らも自ら卓に着いたのである。 こうして石田は、その周囲に現在のジャンクスを形成していったのであった。 その後もジャンクスは目に見えて発展していった。 普段からたまりにおいて手積みで麻雀を行うなど、 日々の努力を重ねることにより技術も向上した。 特に石田を筆頭に当時の2年生は麻雀の研究に余念がなかった。 たまりには誰かしらの麻雀の参考書が置かれ、 戦術の研究に没頭した。 ろくに役すら知らなかった初心者達も、 いつの間にか点数計算までこなすほど上達した。 このような流れの中で、 春秋の大会合宿や夏合宿などのイベントにも自然と麻雀牌が持ち込まれるようになったのであった。
このように一見順風満帆とも思える復活を遂げてきたジャンクスであったが、 未だ眼前には課題が山積していることを構成員達は忘れていない。 大きな問題が、後継者不足である。 石田がぴよ代として主導権を握ってから、 はやくも1年あまりが経過しているが、 その間卓を囲むメンバーに大きな変化が見られていないのである。 石田が3年になり、 ゼミの課題に忙殺され卓から遠ざかる間に、 再びジャンクスの暗黒時代が訪れるのではないか。 2006年5月に一度も徹夜麻雀が開催されなかったこともあり、 ジャンクス内に危機感が増大した。 さらに、 構成員の実力を疑問視する声もある。 ノーレートというリスクのなさから無茶な手作りに走る構成員が増加し、 全ツッパリ、無茶染め、終始役満狙いなどの愚かな策が蔓延したのだ。 それに伴い外部の人間と卓を囲むとその麻雀の脆さが露呈した。
そんな中、 2006年には待望の1年生が入団した。 母集団であるシャークスの人員増加は、 勿論ジャンクスの構成員の増加へとつながる。 徐々にではあるが、 新戦力の台頭も見られるようになった。 高校時代はルール程度の知識だったにもかかわらず、 麻雀レポートの作成という苦難を乗り越えた川崎剛。 小学校低学年から牌に触れているという期待の新人、早崎嶺。 彼ら1年の世代が活躍してきているのだ。 それに触発されたのか、 最近では2年生の田中雄真や山川直哉が積極的に麻雀に参加する姿が見られる。 座長の努力と執念により復活したジャンクスの灯がこれからも輝き続けることを切に願う。 |
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